→空港まで一直線 Back...*


時計を気にしながら、上着とバッグを片手に部屋を飛び出す。
…遅くなっちゃった。
朝食を片付けて、部屋の空気を入れ換えてお掃除して、洗濯物を干して。
そこまでは予定通りに進んでいたのに、メイクと着替えにやたら時間が
かかってしまった。
ジョーに会うのは久しぶりだもの。ちゃんと綺麗にして、会いたいわ。
何年も一緒に暮らしていて、ほんの数週間離れてただけなんだけど。
それでも久しぶりに会えると思うと、知らず知らず心が弾む。

アパートの階段を駆け下りて、ドアを開けると一瞬どきりとした。
目の前に、黒い車が一台停めてある。
あの時も。
お兄ちゃんを迎えに行くのに、寝坊して遅くなって。
アパートを飛び出した所で、黒い車に声をかけられて。
…あたしは。
思わず足が竦んで立ち止まった。
と、黒い車の運転席から大学生くらいの若者が身を乗り出し、手を振った。
ガールフレンドらしい女の子が隣のアパートから出てきて、さっさと助手席へ乗り込む。
そうして、黒い車はすぐに走り去った。
それをしばらく呆然と見送ったあと、フランソワーズは我に返って慌てて走り出す。
馬鹿ね、あたし。
そう思いながらも、一度蘇った記憶はなかなか消えようとはしてくれない。
お兄ちゃんも、ここを走ったかしら。…あたしを追いかけて。

"自分の目"で最後に見たものは、自分を追う兄の姿。
"自分の耳"で最後に聞いたのは、自分を呼ぶ兄の声だった。

誘拐されて改造を受け、勝手につけられた番号で呼ばれ、ただの機械として扱われて
体より先に心が壊れるのではないかと何度も何度も思わされた。
その方がいっそ幸せだとも、何度も考えた。
でも、その度に心のどこかで、兄が自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。
…あたしの名前は、あんな番号なんかじゃない。あたしは機械じゃない。
その声の記憶だけを、必死に握りしめて呟いた。

絶対、死なない。いつかきっと、ここを出て自由になる。

自分のことを、そんなに強い人間だとは思わない。
特別に不幸だとは思わなかったが、取り分け恵まれているとも思わない。
いいことも悪いこともあって、それでも自分は幸せだと思って生きていた。
…それが、あたしの力になった。

だからね、ジョー。

フランソワーズは、今頃空港に到着したであろうジョーの事を考える。
自分が当たり前だと思っていた幸せすら、誰からも与えられなかった人。
誰にも埋められない孤独を抱えて、一人きりで生きてきた人。
悲しいくらい優しくて、同時に全てを拒絶して。
誰よりも強くて、…誰よりも弱い人。
愛してる。

彼が、フランスへ来る事に乗り気でないことは分かっている。
家に招いて兄に会わせても、逆に疎外感を感じさせるだけかもしれない。
それでも、どうにかして知って欲しい。

あたしの家族は、お兄ちゃんだけだった。
でも、お兄ちゃんがたくさん愛してくれたから、あたしはずっと幸せでいられた。
家族って、それだけなの。あなたが考える程、難しいものじゃないわ。
ジョー。あなたも、あたしの大切な家族なのよ?

フランソワーズはようやく捕まえたタクシーに乗り込んで、大きく息をついた。
走って乱れたスカートの裾を整え、バックミラーを覗き込んで髪を直す。
鏡の中で、目から上だけ見えている自分の顔は、何だかジャンにそっくりだ。
…お兄ちゃんの愛情は私に伝わるのに、あたしの愛情はジョーに全然伝わってないのかしら。
あたし、お兄ちゃんに負けてる?
そんなことはない…と、思いたいんだけど。
バックミラーを見ながら、フランソワーズは小首を傾げる。
眉間に皺が一本。鏡の中のジャンが、ちょっと笑ったような気がした。


//end.





…気がついたら、何故か3分割になってました。
書いていて妙に落ち込んだんですが…何でだろう。
まず1本目。フランソワーズ、1人。


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