たまたま通りかかった店で、たまたまディスプレイに目が行った。
ふと視線をずらした先で店員と目が合う。すかさず、にこやかに話しかけられる。
「それ、今日入ってきたばかりなんですよ、可愛いでしょう」
「ええ」
それは本心だった。
「良かったら試着してみます?」
フランソワーズは少し悩んだが、勧められるままに手に取ってみた。
やっぱり、この間雑誌で見て気になっていたものと同じデザインだ。
「ああ、よくお似合いですよ」
鏡に映った店員が手慣れた調子で褒めそやしてくれる。
「今日のお洋服の雰囲気にも合ってますし」
自分でもそう思う。
「人気の商品なんで、すぐ無くなっちゃうんですよね」
お金はさっきおろしたばかりだった。
それで、勢いで購入して試着したまま店を出ることにした。
待ち合わせた車では、ハインリヒが腕組みをして待っていた。
「遅い」
フランソワーズが慌てて助手席に乗り込む。ハインリヒはちらりとそちらを見て
何か考えるように微かに首をひねった。
「ごめんなさい、買い物してたらつい、」
「いや」
もう少し怒られると思ったが、意外にすぐ切り上げられてフランソワーズの方が面食らった。
「え?」
「…早く帰った方がいいだろう」
それ以上は何も言わず、こちらに目もくれようとしなかった。
ギルモア邸のテラスでは、ジェロニモが木に何かを彫りつけていた。
ハインリヒはフランソワーズを先に降ろし、駐車場へと向かう。
「ただいま、ジェロニモ。何を掘っているの?」
その声に顔を上げたジェロニモは、フランソワーズの方を見て、驚いたように腰を浮かした。が、フランソワーズがテラスを上がってくると、また椅子に座り直して作業を続ける。手元を覗き込まれて、困惑したようにフランソワーズの顔を見た。
「これは馬?」
「…犬だ」
「犬?」
「見えないか」
「うーん」
首をかしげるフランソワーズを、戻ってきたハインリヒが少し離れた場所から眺めている。と、眉をひそめたジェロニモと目が合い、ハインリヒは肩をすくめた。
「あ、帰ってきたのか?なあおっさん、車のキーを…」
テラスに面した窓から、ジェットが顔を出した。一度ハインリヒに声をかけてから、ジェロニモの陰に隠れたフランソワーズに気づく。
「ただいま」
「何だお前、それ」
ジェットがフランソワーズを指さした。
「何って、買ったんだけど。似合わない?」
「っていうか」
ジェットはハインリヒとジェロニモを見て、視線に同意を得られたのを感じると改めてフランソワーズの方に向かい、わざとらしいほど優しく声をかけた。
「…お前、どっか悪いのか?」
「何ですって?」
「おいジョー!」
言うだけ言うと、ジェットはすぐに身を翻し、大声でジョーを呼びに走っていった。フランソワーズはあっけにとられてそれを見送る。
「何なの」
ふと見上げると、ジェロニモが心配そうな顔でこちらを見下ろしている。ハインリヒはと言うと、もう姿が見えなかった。
「何ともないわよ、もう。何なのみんな」
そう言いながらドアを開けてリビングへと向かう。何となく落ち着かなくて、買い物の荷物をテーブルに放り投げ、ソファに腰を下ろした。
「ふらんそわーず」
頭に声が響く。声の主は、部屋の隅にあるベビーベッドで寝転がったままだ。
「あ、ただいま、イワン。ミルク作ろうか」
「サッキ飲ンダカラ、アトデイイヨ」
「そう?」
「アノネ、似合ッテルヨ。ソノ眼鏡」
不意に言われて思わずベッドの方を見たが、イワンは天井を向いて寝たままだった。本当に見て言っているのかどうかは知らないが、イワンらしくないお愛想にフランソワーズは微笑んだ。
「そう言ってくれたの、イワンが初めてよ。みんな無視するんだから」
「無視ハシテナイト思ウケド」
「でも何か一言くらいあってもいいと思わない?折角気に入って買ったのに、誰も気づかないんじゃ張り合いがないって言うか」
バッグから出した手鏡を覗き込んでみる。赤いフレームに手をやって、かけ直した。
「な?本当だろ?」
どたばたと足音がして、ジェットの声が聞こえた。
「本当だ」
振り向くと、開け放したドアの前にジェットとジョーが立っている。ジョーは大きく目を見開いてこちらをしばらく見つめたあと、まっすぐにやってきた。
「フランソワーズ、どこか調子が悪いのかい?」
「え」
「そんなに見えにくいのなら、早めに言ってくれればチェックしたのに」
「お前、普通にしてて見えないんじゃよっぽどだぞ」
眼鏡のことだ、とやっと気づいた時には、騒ぎを聞きつけた他のメンバーも集まっていた。
「変だと思ったんだ。さっさとメンテナンスした方がいいだろう」
「さっき、木彫りの犬と馬、わからなかった。相当良くない」
「違うったら!ちょっとイワン、何とか言ってよ!」
「何トカッテ言ワレテモ」
「最近何か思い当たる原因はなかった?」
「きちんと検査した方がいいって」
「機械は気づかないうちに壊れることもある」
「早く行ってこい」
「もう!」
イワンは首をすくめた。
君タチ無粋ダヨ、ッテ。僕ガ言ッテモイイノカイ?
Mad Tea Party / Min,co:
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