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「ずいぶん早かったのね」
僕が帰ると、彼女はにこにこしながら言った。
一泊の予定で出かけたのに、日帰りした僕を不思議そうにみんなが迎える。
ここを出た時は、確かにそのつもりだったんだ。
でも、あの駅を降りた時には僕はもう何かを終えた気になっていた。
「旅行は楽しかったかの?」
そう聞かれても、僕は曖昧に笑う以外なかった。
何にもない駅でしばらくぼんやりとして、アイスを一本食べただけだから。
…途中で溶けて落としちゃって、半分くらいしか食べられなかったけど。
暑かったせいだろうか、何だかよく覚えてない。

ベランダに出てみると、彼女手製の七夕飾りが掛けられていた。
「本を見て真似したんだけど、あってるかしら」
後ろからついてきた彼女が、少し照れたように尋ねる。
やたら細長い短冊には、いろんな国の言葉で願い事が書かれていた。
「よく出来てると思うよ。…コレは、あんまり飾らないと思うけど」
「雨だと、織姫と彦星は会えないんでしょう?だから晴れますようにって」
てっぺんに下がった小さなてるてる坊主を指さして、彼女がぺろりと舌を出す。
随分、日本に詳しくなってるみたいだ。
「あなたも短冊、書く?」
待ってて、と言い残して彼女がリビングへとって返す。
すぐに戻ってきて、色とりどりの紙を広げてみせた。
「何色がいい?」
「じゃあ、これ」
適当に一枚受け取ったが、ペンを持った手が止まった。
「何書こう?」
「お願いごと、ないの?」
「うーん…」
子供の頃は、いつも同じ願いごとを書いてたんだけど。

夜風に吹かれて、竹や紙の飾りがさらさらと音を立てる。
目立たない場所にそっと吊された、フランス語の短冊が翻った。
僕がそれを見ているのに気づいたのか、彼女が短冊を手に取った。
「もう、いないかも知れないんだけど」
大切な人が、ただ「幸せであるように」という願いを込めた短冊を
彼女はそっと白い指先でなぞる。
「…会いたい?」
僕が尋ねると、彼女は首を横に振った。
「今更会っても…ね。お互い、辛いだけだと思うから」
僕も、そうなんだろうか。
生きているのかも分からないあの人に、今、この体で会えたとしたら
あの人は何て言うんだろう。
「せめて、40年前だったらね」
彼女が指を開くと、短冊は風に拭かれてくるくると舞った。
…時間を飛び越えて、会いに行けたらいいのにね。
ふとそんな事を考えて、すぐに思い直す。
何だろう。旅行に行ってから、僕は少し変になったみたいだ。
そんなこと、できっこないのに。

ちょっと考えて、短冊にペンを走らせる。
「何て書いてあるの?」
彼女が覗き込んで、首を傾げた。
「みんなの願い事が、叶いますようにって」
「それだけ?」
「それだけ」
僕は笑って、短冊を竹に結びつけた。


//end.





平成版「星祭りの夜」その後。
「おかあさんに会いたい」ってああいう意味じゃないだろうという気が
するんですけど…ジョー、お父さんは本当にどうでもいいみたいだ。


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