" 青の記憶" ▲ BACK TO TOP


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暫く途方に暮れた後、私は紙片をできるだけかき集めて部屋へ戻った。
ベッドの上で一枚一枚丁寧に皺を伸ばす。どうしてこれがお父様の書斎に、こんな形で捨ててあったのだろう。Jはパンフレットをとても大事に持っていた。昨日見せてもらったときは相応に古びてはいたが、折り目ひとつなかったのに。私はお父様に借りたパンフレットと見比べながら、なるべく元通りになるよう並べてみた。細切れになった所も、ページをめくりながら同じ部分を探して並べた。
並べているうちに、ふとピンクに塗られた写真に気がついた。Jは、何人かの写真に色をつけたと言っていたが、その写真の少女が来ている衣装はピンクに染められて、私が夢で見たものと同じものだった。もしかしたら、Jの知り合いというのはこの少女なのだろうか。彼女が楽屋でJと会っている所を、私は以前目にしていて、何かの拍子に自分と彼女を置き換えて夢に見たのだろうか。
だったら私も本当はJを知っているのかもしれない…そう思いながら写真の少女を眺めた。彼女は、Jとどういう関係なのだろう。じっと見ているうちに、ある疑問が湧き上がってきた。その時、窓際でかたん、と物音がした。

そういえば、夕方眠ってしまったままだったのでカーテンも下ろしていなかった。私はのろのろと立ち上がると、窓の鍵を確かめてカーテンを下ろそうとした。その時、窓ガラスの下を指先がコツコツと叩いた。驚いてのぞき込むと、窓の下にJが立っていた。
「何してるの」
私は慌てて窓を開け、声を殺して話しかけた。Jは素早く他の窓を見回してから、いつもの調子で私に笑いかけた。
「ちょっと通りかかったら、君の姿が見えたから。まだ起きてて大丈夫なのかい?」
「あなた人の家の庭を通りかかる趣味があるの?」
「いや、ないけど。…実は怖いおじさんに追いかけられて、隠れてた」
Jののんびりした様子に、逆に私は焦りを感じた。この家の殆どの部屋の窓は、庭に面しているのだ。もしお父様か使用人の誰かが気づいて窓を覗いたら、すぐ見つかってしまう。
「入って。早く」
私が窓を開いて促すと、Jは一瞬躊躇ったが、片手を窓にかけると軽々と飛び上がって部屋に入ってきた。私は急いで鍵をかけてカーテンを下ろすと、入り口にとって返して扉にも鍵をかけた。振り向くと、苦笑いするJと目が合った。
「匿ってくれるのはありがたいけど、君の父さんに見つかったらただじゃ済まないな」
「笑ってる場合じゃないでしょ、お父様は本当に貴方を殺すかもしれないわ」
「え?どうして」
きょとんとしてJが聞き返す。私はベッドの上のパンフレットを指さした。Jが目を丸くして、バラバラのパンフレットを見る。
「お父様の書斎に捨ててあったのよ。あなたのでしょう?」
「…ああ、やっぱりそうか」
Jはそう呟くと、ベッドの側へと歩み寄った。肩を落として紙片を眺める姿に、心が痛んだ。
「大切なものなのに…ごめんなさい」
「いや、僕が悪かったんだ。余計なことをしすぎた」
Jはあの少女の写真を見つけると、そっと指先で撫でるように触れた。
「君は記憶がないのに、昔のことを教えたりして」
「そんなことないわ。私が頼んだのよ。あなたは、単に好意で」
「そうじゃないよ」
Jは短く私の言葉を遮ると、私の目を見つめて一瞬だけ、ほんとうに泣き出しそうな顔をした。それから首を振って、
「違う」
もう一度はっきりそう言って、Jは写真を見下ろしたまま黙り込んだ。私も言葉が見つからずに黙るしかなくなって、机の前に出しっぱなしの椅子に座り込んだ。

暫くの間、重苦しい沈黙が流れた。
「あなたは…誰なの」
呟いた声が、やけに部屋に響いた。Jが振り返った。
「あのパーティの招待客に、あなたみたいな人はいなかったって聞いたわ。どうしてあそこに居たの?お父様を追っている組織の人って、あなたなの?私に近づいたのも、お父様を捜して殺すため?」
一つ疑問が湧くと、次々言葉が出てきた。Jははじめ無表情だったが、最後の言葉に眉を顰めた。
「何だって?そりゃ僕は、君の父さんに尋ねたいことはあったけど…何で殺さなきゃならないんだ?」
「組織の人じゃないのね?」
「当たり前だよ」
Jは苦々しそうに言うと、一度深呼吸をしてからまっすぐ私を見た。
「あのパーティには、僕はある要人のボディガードの代役で行ったんだ。急に欠員が出たらしくてね。君の父さんも来るって聞いたから、運が良ければ話す機会もあるかと思って着いていった。君の父さんはなかなか表に出る人じゃないから…追われてるんじゃ仕方ないけど」
「ボディガード?あなたが?」
「こう見えても、一応軍人なんでね」
私が目をぱちくりさせると、Jは肩をすくめた。
「ああ、ちゃんと名乗ってなかったっけ…僕の名前はジャン=アルヌールだ。君に会ったのはほんとうに偶然だよ。たまたま、どこかで見た事があると思って声をかけたんだ。美人だったし…名前を聞いて、初めて君が博士の娘さんだって知った」
「あの…じゃあ、私に教えてくれた話はほんとうなのね?私を知っているっていうのは」
「そんな嘘はつかないよ。君はドゥ・リーニュ博士の娘で、フランソワーズと同じ舞台で踊ってた、リュシエンヌだろう」

その瞬間、頭の中で中途半端に漂っていたものがすとんと収まった。私は鏡に映った自分の顔を見た。ジャンの言葉が遠くなった。
「君は違うバレエ団だったから、僕が見たのは一度きりだったけど…妹なら、もう少し知っているかもしれない」
鏡の中に、リュシエンヌが映っている。そう、あれは…私だ。どうして今まで、自分の名前すら出てこなかったんだろう。
「名前を…」
「え?」
言おうとして、言葉が詰まった。私は鏡に近寄り、自分の顔をまじまじと見つめた。鏡の向こうで、ジャンが首を傾げてこちらを見ている。その顔を見て、私は弾かれたようにベッドの側へ走り寄り、散らばった紙片から目当ての写真を探し出した。
黒い衣装を着た、私の写真。それからジャンが手にしていた、ピンクの衣装をつけた少女の写真。黄色く塗った髪と青の瞳に彩られてまっすぐこちらを向いている少女は、名前の部分が破れて読めなかった。
「…フランソワーズだ」
「この子が?」
「僕の妹で、たった一人の家族だ」
妹。
私はほっとしたような、逆に何かとても不安になったような気持ちでジャンを見た。視線が合うと、ジャンは一瞬の間をおいて目を伏せた。
「この子は今、どうしているの」
「さらわれた」
私の手元にある写真を見つめながら、ジャンは答えた。
「僕の目の前で、二人組の男にさらわれた。もう半年も前だ。ずっと探しているけど、まだ見つからない」
「………」
「色々調べていたら、ある組織に辿り着いた。…君の父さんのいた所だ」
あまりに飛躍した話に、目眩がしてきた。お父様は確かに非合法な組織とは言っていたが、私くらいの年齢の娘をさらう組織とはどういう所なのだろう。
「別に君の父さんが何かしたとは思わない。でももしかしたら、妹をどこかで見たことくらいはあるんじゃないかって思って…だから会いたかったんだ」
そう言って息をつくと、ジャンは小さく付け加えた。
「最初はね」
どういう意味なのだろう。私は続きを待ったが、ジャンはまた黙りこくってしまった。私はためらいがちに言った。
「…あの、お父様に会ってみる?」
ジャンは僅かに顔を上げた。
「そういう事なら…直接尋ねた方がいいと思うわ。お父様だって、追っ手じゃないって分かれば協力してくれる筈よ。朝になったら、一度外へ出て玄関へ回ればいいわ。私が側にいるから、何かされるなんて事はないし…絶対そんなことさせないから」
「気持ちだけ貰っておくよ」
少しだけ考えた後、ジャンは答えた。
「僕が追っ手じゃないにしても、君に近づいて余計な事をして、君の父さんを怒らせちゃったからね。多分まともに話はできない」
「そんな言い方しないで。昔の話を聞きたいって頼んだのは私なんだから…あなたがどういうつもりで色々教えてくれたのかは知らないけど、私はあなたにとても感謝しているのよ」
ジャンは私の言葉を聞くと、困ったような顔をした。その時、ドアをノックする音が聞こえた。

「リュシー、まだ起きているのか?何か声が聞こえたようじゃが…」
お父様がドアの向こうに立っていた。
私は息を呑んだ。ジャンの方を振り返ると、ジャンは一瞬目を閉じてから軽く頷いた。


 


※なんだか色々すみません。


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